概要

 研究において身につけた暗室作業で作製した美術作品を発表している。1987年Salon de Mai日本代表としてその作品がフランス国立グラン・パレ美術館に展示された。

 サロン・ド・メ ( salon de mai ) :1943年に対独レジスタンス運動の一環として設立された。公募ではなく招待出品制をとっている。ピカソ、マン・レイ、岡本太郎らが出品している。

 アナログ白黒写真の印画紙は光があたったところが現像液で黒くなる。懐中電燈の先にレンズをつけて集束させた光を筆にして描いている。その「光筆」には摩擦がなく、微細な手の揺れがそのまま反映される。レイヨグラグや通常のフィルム焼き付けも重ねている[図1、2]。

 レイヨグラグ:ガラス製品などを直接印画紙の上に置いて光をあてその影を現像・定着する手法。置くものはなんでも良い。

 自身の神経障害性疼痛の診断に用いられたMRIも素材にしている。この疾患には有効な治療はないが、この製作によりその疾患・障害を笑い飛ばすことを目論んでいる。Art therapyでもある。


1965 小学1年の頃、紙版画が市内版画展銅賞となり版画家を志す。

1982学生劇団を立ち上げる。作・演出、主演。

1984上記で上演した戯曲が文部省こどもの城戯曲公募で佳作となるも上演には届かなかった。

1986光画(下記参照)による初の個展。於西麻布シリン。  

1987スチール写真個展『廃墟』パブロバ館(日本最古のバレエ学校)。於西麻布シリン。美術家と野村総研研究員の二足の草鞋を履く。

同年 Salon de Mai日本代表。マガジンハウス社ターザンの取材を受ける。

1991キャノンアートラボNENに随筆『モルフォグラフィア ファンタスティカ』が掲載される(https://faculty.tamabi.ac.jp/html/ja/100000039-chosho.html)。「キヤノン・アートラボ」は、キヤノン株式会社の文化支援プログラム。「科学と芸術」の融合による新たな領域を創造する実験的な場であった。伊藤俊治東京芸大教授らがコンセプトを構築した。

同年 PSYCO VACCINEに随筆『波動の記憶』が掲載される。多摩美大教授椹木野衣氏らも寄稿している。

2021年 日本美術解剖学会 (養老孟司会長) 会員となる。

2022年 現代思潮社現代詩公募に入選

(https://www.asiawave.co.jp/bungeishichoo/gendaisi_00/gendaisi_18th_2023_00.pdf)。

Instagram https://www.instagram.com/aquiraas/?hl=ja


科学x芸術

  1. 解剖学教室時代、毎日大量の電子顕微鏡写真を撮影した。フィルムを現像し半紙印画紙に焼き付けた。細胞の形態と機能を解析するためである。この時の現像焼き付け技術が浅利の「光画」を裏付けている。
  2. 美術解剖学の始祖はレオナルド・ダ・ヴィンチとされている(現代に比して「科学と芸術」の間の境界が低い)。
  3. 浅利は現在ヒアルロン酸の分子構造を音楽に「翻訳」している。この作業を通じてその分子の特質を「聞く」目論みである。香道で「香りを聞く」というように。


光画

  1. 写真は日本語では「真」を「写す」と書く。写真の実際は必ずしもそうではない。英語ではPhoto-graphと書く。photoは光、graphは画の意である。当初日本で「写真」は「光画」と呼ばれていた。
  2. 浅利は 懐中電灯の光をレンズで収束させた光線を"筆"に印画紙に描いた。印画紙は現像液に浸してあって描くとタイムラグがあって像が浮かび上がる。摩擦がない。ピカソはライトを手に宙に描いている。その『ミノタウロス』を長時間露光が捉えている。いずれも文字通りの「光画」と言える。


Art therapy

 2018年交通事故を遠因とする平衡感覚障害と神経障害性疼痛に罹患し障害者手帳を持つ。その後、世の中がまるっきり違って見えている。これが新たな創作のきっかけとなった。自身のMRI診断画像を作品素材にしている。

以上

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